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宮崎家庭裁判所日南支部 昭和44年(家)60号 審判 1969年8月02日

申立人 宮島元一(仮名) 外一名

主文

錯誤につき

一、本籍宮崎県東諸県郡○○村大字○○△△△△番地戸主宮島新二の除籍戸籍中、孫孝の戸籍について、その父母欄の記載および身分事項欄の出生事項の記載をいずれも消除し、

二、本籍 宮崎県日南市大字○○△△△△番地戸主宮島新二の消除戸籍中、係豊の戸籍について、その父母欄の記載および身分事項欄の出生事項の記載をいずれも消除する。

ことを許可する。

理由

本籍宮崎県東諸県郡○○村大字○○△△△△番地戸主宮島新二の除籍戸籍および本籍宮崎県日南市大字○○△△△△番地戸主同人の消除戸籍の各謄本、東京家裁昭和四三年(家イ)第自二六六一至二六六四号審判謄本、ならびに申立人両名の審問結果によると、申立人両名は大正四年五月一七日婚姻して、その間に長男英夫(大正六年八月一日生)のみが出生したこと、しかるに、申立人元一の実第宮島文夫(明治二八年一〇月二四日生)は大田ツルと結婚し、その間に孝(大正一三年二月二五日生)章(昭和三年三月三日生)、豊(昭和一〇年八月一日生)、勝(昭和一二年八月三日生)とつぎつぎに出生したが、大田ツルが一人娘であり、他方宮島文夫が婿養子になることを嫌つたため遂に双方間に婚姻届ができなかつたことから、私生子になる孝等の身分をはばかり、申立人元一および宮島文夫の父にあたる宮島新二の意見で申立人夫婦の二男、三男、四男、五男としてそれぞれ虚偽の出生届がなされたこと、その出生届は宮島新二が申立人元一の名においてなしたものであり、申立人元一は孝等と同居したこともまた監護養育したことも一切ないこと、がそれぞれ認められる。しかして、孝は昭和四年三月八日、豊は昭和一七年一〇月二日それぞれ死亡しているところ、本来親子関係の存否は確定判決又は審判によつて始めて確定されるものではあるが、本件のごとく親子関係の主体の一方がすでに死亡してしまつているときにはその主体間で親子関係存否の裁判を得ることができず、しかも出生という報告的戸籍記載は親子関係という身分関係を確定するものではないから、それの虚偽の戸籍記載について申立人両名がそれを訂正する必要性と利益を有する限り、戸籍法第一一三条により戸籍訂正をなすことができるものと解する。そうすると、上記認定事実から申立人両名と上記孝、同豊との間には親子関係はなく、また同居者でもない申立人元一の孝等に対する出生届はその効力がないことが認められるので、それぞれの戸籍記載を消除すべく、よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 渡瀬勲)

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